| NH03:海野広道 | 楢原久等耳 ― 滋野家訳 ― 海野広道 ― 安部頼真 | NH04:安部頼真 | ● |


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| 安部元真 | 安部信勝 |
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| 本姓は神氏。駿河国の今川氏に仕え、主君の今川義元より偏諱を賜り元真を名乗る。永禄3年(1560年)に桶狭間の戦いで義元が戦死して以降、弱体化しつつあった今川氏の領土に甲斐国の武田信玄が侵攻してくると、元真は駿府で迎え撃つが敗れ、自領に退散した。今川氏滅亡後は流浪の末に徳川家康に仕え、遠江国伯耆塚城に入城し、仇敵・武田氏と戦い、諸戦で戦功をあげた。 |
当初は父・元真と共に今川氏に仕えたが、後に徳川家康の家臣となる。天正11年(1583年)には後北条氏の甲斐国本巣の砦を攻め落とし、翌天正12年(1584年)の小牧長久手の戦いでも戦功を挙げた。また同年6月の蟹江城合戦では、石川数正と共に前田長種が守る前田城を攻め、長種を破った。 |
| 安部信盛 | 安部信峯 |
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武蔵国岡部藩初代藩主。遠江国浜松出身。慶長5年(1600年)、父・信勝が死去し家督と5,200石の所領を継承する。同年の関ヶ原の戦いでは本多正信隊に属して下野国小山にまで参陣した。慶長10年(1605年)には徳川秀忠の将軍宣下のための上洛に従っている。慶長19年(1614年)からの大坂の陣には冬,夏とも参陣し、その功績により元和2年(1616年)には御徒頭に任じられた。 |
延宝2年(1674年)、初めて4代将軍・徳川家綱に御目見する。貞享3年(1686年)10月に従五位下・丹波守に叙任された。 |
| 安部信発 | |
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文久3年(1863年)9月11日、岡部藩12代藩主・安部信宝が死去したため、その末期養子となって家督を継いだ。同年9月23日、14代将軍・徳川家茂に拝謁する。同年12月26日、従五位下・摂津守に叙任する。元治元年(1864年)11月、岡部藩は天狗党の乱鎮圧に参加し武功を挙げた。元治2年(1865年)、日光祭礼奉行を命じられる。 |