KI42:紀 貞雄 | 紀 角 ― 紀 大人 ― 紀 麻呂 ― 紀 長谷雄 ― 紀 貞雄 ― 瀧川貞勝 | KI43:瀧川貞勝 |
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瀧川一益 | 瀧川一積 |
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父は近江国甲賀郡の国人・滝川一勝もしくは滝川資清といわれているが、どのような人物であったかは不明。また、兄として高安範勝が挙げられることもあるが、一族(父の従兄弟)とする系譜もある。志摩の国人・九鬼嘉隆が織田信長に仕官する際に一益が仲介したこと、婿の滝川雄利は伊勢国司北畠氏の一族木造氏の出身であること、長年伊勢攻略を担当し、攻略後も北伊勢に広大な所領を与えられていることなどから、伊勢あるいは志摩出身とされる説もある。 |
滝川一益の孫にあたる。父・一忠は豊臣秀吉により追放されて浪人であったため、一積もまた関ヶ原の戦い以前の行動は定かではない。旧知であった真田氏の許にいたともいわれ、関ヶ原の戦いの際に石田三成の父・石田正継の猶子であった宇多頼次と離縁していた真田昌幸の娘を託されたという。 |
瀧川一時 | 瀧川一乗 |
永禄11年(1568年)、滝川一益の次男として誕生した。幼少から織田信長に仕え、伊勢亀山,近江甲賀郡に所領を有した。 |
慶長7年(1602年)、伊勢亀山1万4,000石の大名・滝川一時の長男として誕生。 |
瀧川辰政 | 瀧川益重 |
はじめ織田信包に仕えた。豊臣秀吉による小田原征伐に従軍した際、北条方より信包の軍に向かって鉄砲が撃ちかけられたが、辰政が矢面に立ち弾丸は母衣に当たるだけで済み、信包より大いに賞されたという。次に浅野長政に仕え、文禄・慶長の役の際には朝鮮へ渡航し武功が多かった。石田三成にも仕えた。 |
滝川一益の甥といわれる。前歴などは不明だが、叔父・一益の家臣となった。 |
瀧川益氏 | |
滝川一益の従弟ともいわれる。佐治益氏と同一人物もしくは他の人物との混同があるとも言う。 |