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東條英教 | 東條英機 |
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1855年12月16日(安政2年11月8日)に陸奥の盛岡藩士・東條英俊の嫡男として誕生。 |
陸軍士官学校第17期卒。陸軍大学校第27期卒。
詳細はWikipedia(東条英機)を参照 |
東條英隆 | 岩浪(東條)淑枝 |
英隆は首都圏警察に勤め、英機が関東軍憲兵司令官であったときに仕事で満州にあり、1936年に結婚。新京神社で挙式した。その後、鴨緑江発電職員になった。弱視のため兵役免除を受けていたが、太平洋戦争末期に海軍から召集を受け、横須賀で終戦を迎えたという。敗戦が近くなると、東條家の通字の「英」を持つこともあり、一家は特に迫害の対象になり、転職や就学もままならず、長く東京を離れて伊豆の伊東に居住し、英隆は英機が収監された巣鴨に行くこともなかったという。 |
朝鮮京畿道京城府(現・大韓民国ソウル特別市)生まれ。幼少時は祖父が英機というだけで教室の黒板の前に立たされ、罵倒されるなど教師ぐるみのいじめを受けたという。 |
東條輝雄 | 東條敏夫 |
東條英機の次男として東京府東京市にて出生。父から軍人よりも技術者になるよう勧められ、東京府立第六中学校,旧制福岡高等学校,東京帝国大学航空学科を経て三菱重工業に入社し、名古屋航空機製作所に勤務。ゼロ戦の設計チームに配属され、強度計算を担当した。 |
東條英機の3男。第二次世界大戦中は帝国陸軍の士官候補生(59期生)であった。その関係で戦後は、新たに発足した航空自衛隊に公募幹部採用され空将補(空軍少将)まで務めた。 |