花山源氏

G901:源 延信  冷泉天皇 ―(花山天皇)― 源 延信 ― 業資王 G902:業資王

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業資王 資邦王

 文治元年(1185年)、王氏爵により従五位下に叙爵する。初名は康家であったが、のち業資に改名している。建久9年(1198年)に父の仲資王から神祇伯を譲られ、神祇伯を三代続けて出して花山王氏による世襲が確立された。
 正治2年(1200年)、土御門天皇の大嘗祭における仲資王の功労を譲られて従五位上に叙せられると、正治3年(1201年)正五位下、建仁3年(1203年)従四位下、承元3年(1209年)従四位上、建暦2年(1212年)正四位下と昇進を続け、建保4年(1216年)従三位に叙せられ、仲資王に続いて公卿に列した。
 元仁元年(1224年)閏7月15日薨去。享年41。

 「白川」の呼称は13世紀中期以降、資邦王の代から見られるようになる。ただし居住地や山荘所在地をとることが公家の呼称においては多いものの、白川伯王家と白河の土地との関連は明確ではない。神祇伯在任中は資邦王、伯の任にないときは白川資邦と称す(のちの代も同様)。