G902:業資王 | 冷泉天皇 ―(花山天皇)― 源 延信 ― 業資王 ― 白川忠富王 | G903:白川忠富王 |
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白川雅朝王 | 白川雅喬王 |
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安土桃山時代から江戸時代初期にかけての公卿。花山源氏白川伯王家の当主。初名は雅英。白川雅朝王とも表記する。内大臣・中院通為の次男で神祇伯雅業王の養子。 |
江戸時代前期の公卿・神職・歌人。花山源氏白川伯王家の当主。白川雅喬王とも表記する。一字名は代。神祇伯・参議雅陳王の子。兄弟に宥賀(積善院大僧正・聖護院院家),品川雅直(加賀藩士になり品川左門と名乗る),大宮実勝室らがいた。 |
品川雅直 | 白川資訓 |
江戸時代に加賀藩で武家として重臣を務めた一族である。江戸時代初期、品川雅直は加賀藩3代藩主・前田利常に仕えて重用され、利常が没すると殉死を遂げた。その子孫は代々加賀藩に仕え、約70家ある人持組(重臣)のひとつに位置づけられて、3000石を給された。 |
旧名は資訓王。嘉永2年3月29日(1849年4月21日)に元服し昇殿を許される。嘉永4年8月14日(1851年9月9日)神祇伯に就任。安政元年(1854年)、内裏焼失の際に神鏡を奉遷し孝明天皇より賞された。同年12月18日(1855年2月4日)侍従を兼ね、安政4年5月15日(1857年6月6日)右近衛権少将を兼ねた。元治元年8月29日(1864年9月29日)右近衛権中将に進んだ。 |