清和源氏

G419:平賀盛義  源 経基 ― 源 頼信 ― 源 義光 ― 平賀盛義 ― 平賀有義 G492:平賀有義

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平賀有義 新津勝資

 平賀 有義は、平安時代後期の武将であるが、源義光流と源義家流の人物がいる(『尊卑分脈』)。
 源義光流の平賀有義は、源義光の4男・盛義(源義光流平賀氏の祖)の子で、平賀二郎。兄弟には佐々毛安義,平賀義信らがいる。
子は金津小二郎資義,平賀四郎有資,平賀七郎有延。長子の資義は越後国を拠点とし、金津氏の祖となった。また、承久の乱で幕府側について乱後に安芸国の安芸町村に地頭職を与えられた平賀九郎有信(法名:念仏)について、その活動時期(後に縁者とみられる秋山氏一族の深沢有経に安芸町村などを譲っている)や名乗りから有義の子と推測されている。
 一方、源義家の子孫たる平賀有義は、源義家の6男・石川義時【G392】の子である。平賀二郎を称した。源義家流平賀氏の祖。子に四郎義資,小二郎季義がいた。 

 上杉氏の家臣。新津氏は金津氏の支流で、清和源氏平賀氏流の名門である。第四次川中島の戦いでは他の揚北衆と共に参陣し遊軍として活躍。上杉景勝の時代には新発田重家の乱,小田原征伐,文禄・慶長の役など、ほぼ全ての戦に参戦しており、景勝から多くの活躍を賞されている。その戦いぶりから上杉二十五将に選ばれている。
 文禄2年(1593年)、婿養子の秀祐に家督を譲り、慶長5年(1600年)8月に転封先の会津にて戦いに明け暮れた生涯を閉じた。