F910:内藤重清 | 藤原房前 ― 藤原魚名 ― 藤原秀郷 ― 内藤行俊 ― 内藤重清 ― 内藤信成 | F914:内藤信成 |
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内藤信成 | 内藤信政 |
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『藩翰譜』では嶋田某の子で内藤清長の養子、あるいは母は松平広忠の寵愛を受けて信成を身籠り、嶋田景信に嫁して3月後に出産、事情を知った清長がこれを養子として育てたとの所伝ありとする。また生母は広忠の侍女で、小野次郎右衛門の娘という説もある。一方、『寛政重修諸家譜』では、内藤右京進某(義清)の娘と嶋田久右衛門景信の子とされている。 |
永禄11年(1568年)、のちの長浜藩初代藩主・内藤信成の長男として生まれる。天正12年(1584年)16歳で小牧・長久手の戦いに参加、その功を徳川家康に賞せられる。天正14年(1586年)には19歳で大番頭となり、同18年(1590年)の小田原征伐、19年の九戸政実の乱などに従軍した。 |
内藤信広 | |
慶長16年(1611年)6月、徳川秀忠に召抱えられて小姓となる。同19年(1614年)御徒頭となり、大坂冬の陣に供奉、元和元年(1615年)上野国に采地1,000石を与えられる。同年5月7日、大坂夏の陣において戦功があり、のち小姓組組頭となる。 |