F701:藤原道長 | 藤原房前 ― 藤原冬嗣 ― 藤原良房 ― 藤原忠平 ― 藤原師輔 ― 藤原道長 ― 藤原頼宗 | F761:藤原頼宗 |
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藤原頼宗 | 藤原兼頼 |
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幼名は厳。寛弘元年(1004年)元服と同時に従五位上に叙せられる。道長の正室とされたのは頼宗らの母の源明子ではなく、源倫子であったため、倫子腹の異母兄弟である頼通,教通に比べ、頼宗の昇進は遅れた。長和3年(1014年)に権中納言、治安元年(1021年)に権大納言に至る。 |
万寿3年(1026年)元服と同時に正五位下に叙され、侍従・右近衛少将に任ぜられる。万寿4年(1027年)に正五位上・近江介に叙任。 |
藤原基貞 | 藤原延子 |
長元8年(1035年)に但馬守、寛徳3年(1046年)には美濃守と地方官や、刑部卿などを歴任した。しかし、妾腹だったことなどから官位には恵まれず、正四位下・美濃守止まりで藤原道長の孫でありながら僧・頼観を除いて兄弟中唯一公卿に昇っていない。 |
長久3年(1042年)3月26日、後朱雀天皇のもとに入内、女御となる。寛徳2年(1045年)1月、後朱雀天皇は譲位、2日後に崩御するが、延子は同年4月に正子内親王を産む。正子内親王は天喜6年(1058年)から延久元年(1069年)まで斎院となった。永承5年(1050年)1月5日従二位。延久5年(1073年)5月12日に落飾。嘉保2年(1095年)6月15日、80歳で薨去。 |
藤原昭子 | |
後三条天皇の女御。承香殿女御または堀河女御と称された。治暦2年(1066年)7月に東宮・尊仁親王(後の後三条天皇)に入内する。治暦4年(1068年)後三条天皇が即位し、10月大嘗会の女御代を務める。翌延久元年(1069年)4月、女御宣下を受ける。皇子女はなかった。延久3年(1071年)8月新造内裏に移って、承香殿を局とした。延久5年(1073年)に天皇が崩御すると、出家して堀河院に移った。 |