F417:藤原良綱 | 藤原冬嗣 ― 藤原長良 ― 藤原清経 ― 藤原範永 ― 藤原良綱 ― 高倉永季 | F418:高倉永季 |
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高倉永季 | 高倉永家 |
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北朝にて蔵人,中務大輔,弾正大弼を歴任。有職故実に通じ、特に家職の衣紋道を受け継いで衣紋の調進を掌って、山科家と双璧をなした。衣紋道における功労により永和4年(1378年)従三位に叙せられ公卿に列した。 |
明応8年(1499年)叙爵し、永正元年(1504年)侍従に任官する。永正8年(1511年】右兵衛佐に遷ると、永正11年(1514年)従四位下、永正15年(1518年)従四位上・左兵衛督、大永2年(1522年)正四位下と兵衛府の武官を務めながら昇進する。 |
高倉永相 | 高倉永孝 |
天文7年(1538年)従五位下に叙爵し、翌天文8年(1539年)元服して、昇殿を許されて侍従に任官する。天文9年(1540年)右衛門佐に遷ると、天文17年(1548年)の従四位下叙位後も引き続きこれを務め、天文22年(1553年)正月に右衛門督に昇任された。 |
永禄11年(1568年)10月、織田信長が足利義昭を奉じて上洛すると、足利義栄派の公家は朝廷を追われ、永孝は父・永相と共に大坂寺内町へ下向した。 |