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広橋頼資 | 勘解由小路経光 |
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民部卿・藤原光範の後を継いだとされる。広橋家の祖。四辻,勘解由小路とも称する。
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「広橋経光」は室町期の家名を過去遡及的に適用したもので、同時代には勘解由小路 経光と称した。官位は正二位・民部卿,権中納言。日記『民経記』の著者である。 |
広橋兼仲 | 広橋光業 |
日記『勘仲記』の著者。建長4年(1252年)に元服、正嘉2年(1257年)に叙爵し、紀伝道(文章道)を学ぶ。正元元年(1259年)に民部少輔に任じられ、近衛家,鷹司家の家司となり、弘安元年(1278年)より鷹司兼平,近衛家基の執事を務めた。 |
永仁2年(1294年)5月8日、勧学院学問料を賜う。永仁3年(1295年)9月28日、文章生。永仁5年(1297年)2月23日、叙爵。正和2年(1313年)9月6日、治部大輔に任ぜられ、同日蔵人に補せられる。元応元年(1319年)3月9日、左中弁に任ぜられる。4月5日、卒分所勾当,装束使,左宮城使となる。元応2年(1320年)9月5日、参議に任ぜられる。元亨元年(1321年)3月11日、参議を辞した。元徳2年(1330年)3月22日、正三位に昇叙。康永2年(1343年)1月5日、従二位に昇叙。貞和2年(1346年)12月5日、権中納言に任ぜられる。貞和4年(1348年)2月11日、権中納言を辞した。 |
広橋仲光 | 広橋仲子 |
日記『仲光卿記』が伝わる。南都伝奏として足利義満と様々な案件の折衝にあたったことで知られる。 |
後光厳天皇の典侍で、後円融天皇の生母。広橋兼綱の養女で、実父は石清水八幡宮祠官善法寺通清(紀氏)。生母は四辻宮尊雅王の娘(法名智仙聖通)とされる。院号は崇賢門院。姉妹に紀良子(足利義詮側室で足利義満生母)、伊達政宗正室の輪王寺殿がいる。比丘尼御所の大慈院(南御所)開基とされる。 |