| F044:工藤家次 | 藤原武智麻呂 ― 藤原乙麻呂 ― 藤原為憲 ― 工藤家次 ― 伊東祐清 | F045:伊東祐清 | 

| リンク | F046 | 
| 伊東祐清 | 伊東祐光 | 
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  伊東祐親の次男で、諱は祐兼,祐長,祐氏,祐忠とも。源頼朝の乳母である比企尼の3女を妻としており、伊豆の流人であった頼朝と親交があった。安元元年(1175年)9月頃、平家の家人である父の祐親が頼朝を討とうとした際、頼朝に身の危険を知らせて逃がしている。『曾我物語』によると、自身の烏帽子親であることから、北条時政を頼るように頼朝に薦めたという。頼朝はこの恩義を忘れなかった。  | 
源頼朝は伊東祐清から命を助けられた恩義(祐清の項)を生涯忘れなかった。頼朝は、祐清の遺児・祐光に伊東荘を与えている。祐光の玄孫・祐熙は足利尊氏から先祖代々の地である久須見,伊東,河津の地を与えられた。 | 
| 伊東武兵衛 | 伊東長久 | 
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  元々は相模国の住人であったが尾張国に移り住んで織田信長に召し出されて仕えたという。  | 
  一族はもともと相模国の出身だが、祖父の長時の頃に尾張岩倉に移住し、祐之はかなり早くに織田信長に仕えた。堀田左内,城戸少左衛門と共に「鑓三本」に数えられた槍の名手であった。  | 
| 律師 | |
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  父・河津祐泰が討たれた5日後に生まれている。祐泰が工藤祐経に討たれると、河津祐成,時致の兄弟は曽我祐信の養子となり、生後間もない末弟(諱は不明)は祐泰の弟・伊東祐清の妻(比企尼の3女)に引き取られた。  |