F045:伊東祐清 | 藤原乙麻呂 ― 藤原為憲 ― 工藤家次 ― 伊東祐清 ― 伊東長実 | F046:伊東長実 | ● |
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伊東長実 | 伊東長詮 |
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永禄3年(1560年)、尾張国岩倉の国人・伊東長久の長男として生まれる。日向国の伊東氏と遠祖を同じとする。 |
延享4年(1747年)6月に世子とされた。宝暦13年(1763年)9月16日に父の隠居により家督を継いだ。有能で無かった父と較べて才能に優れ、性質は温厚というまさに名君で、家臣の意見をよく聞く人物だった。ただし、一部に感情の激しいところがあり、家臣を震え上がらせたとも言われている。明和7年(1770年)に旱魃が追こって領民が苦しむと、自ら節約に努めて領民を助ける施策を講じている。 |
伊東長寛 | |
安永7年(1778年)、父の死去により家督を継いだ。父の才を受け継いだ人物で、重臣の浦池九淵を重用して藩政改革を行なった。その結果、財政は再建され、寛政6年(1794年)には演武場、寛政7年(1795年)には藩校である敬学館を創設するなど、大いなる成功を収めた。 |