| AB15:安藤家重 | 阿倍阿加古 ― 阿倍比羅夫 ― 安倍頼時 ― 安藤家重 ― 安藤重信 | AB16:安藤重信 | ● |

| リンク |
| 安藤重信 | 安藤重長 |
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徳川家康に仕え、天正12年(1584年)の小牧長久手の戦い、慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは徳川秀忠軍に属して真田昌幸が守る信濃国上田城攻めに参加した。 |
慶長14年(1609年)に徳川家康に拝謁。大坂の役に参戦し、元和5年(1619年)、上野国板畠2千石を賜う。元和7年(1621年)、祖父・重信の死去により家督を相続。寛永9年(1632年)には改易となった徳川忠長を預かり、高崎城に幽閉した。その後、書院番頭,寺社奉行,奏者番などを歴任。明暦3年(1657年)に死去したが、嫡子・重之が既に死去していたため、家督は嫡孫・安藤重博が継いだ。 |
| 安藤信友 | 安藤信正 |
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天和元年(1681年)10月28日、11歳のときに初めて将軍綱吉に拝謁する。貞享2年(1685年)、長門守に叙任。元禄11年(1698年)8月9日に父が死去し、10月3日、幕府の許しを得て備中松山藩(6万5000石)藩主の地位を継いだ。宝永元年(1704年)に奏者番となり、同6年(1709年)には寺社奉行を兼任する。宝永8年(1711年)2月15日、美濃加納藩に転封される。正徳3年(1713年)に寺社奉行を辞めるが、享保2年(1717年)に再び寺社奉行となる。翌年、大坂城代となり、享保7年(1722年)、8代将軍・徳川吉宗から老中に任じられ、享保の改革の推進に関与した。 |
天和元年(1681年)10月28日、11歳のときに初めて将軍綱吉に拝謁する。貞享2年(1685年)、長門守に叙任。元禄11年(1698年)8月9日に父が死去し、10月3日、幕府の許しを得て備中松山藩(6万5000石)藩主の地位を継いだ。宝永元年(1704年)に奏者番となり、同6年(1709年)には寺社奉行を兼任する。宝永8年(1711年)2月15日、美濃加納藩に転封される。正徳3年(1713年)に寺社奉行を辞めるが、享保2年(1717年)に再び寺社奉行となる。翌年、大坂城代となり、享保7年(1722年)、8代将軍・徳川吉宗から老中に任じられ、享保の改革の推進に関与した。 |