AB08:安倍頼時 | 阿倍阿加古 ― 阿倍比羅夫 ― 安倍頼時 ― 安藤家重 | AB15:安藤家重 |
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安藤家重 | 安藤直次 |
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松平広忠に仕えていたが、天文9年(1540年)に三河安祥城に攻め寄せてきた織田信秀との攻防戦のさなかに討死。 |
幼少期から徳川家康に仕え、元亀元年(1570年)の姉川の戦いを皮切りに長篠の戦いにも参戦した。 |
安藤直裕 | 安藤正珍 |
徳川慶福や徳川茂承などの補佐を務めた。慶応2年(1866年)、第2次長州征伐では幕府軍の石州口の総督を務めたが、弾薬を使い果たして退却し罷免されている。慶応4年(1868年)の「維新立藩」で大名となり、紀伊田辺藩を立藩した。一時期、藩主の地位を長男の安藤直行に譲って隠居したが、ほどなくして再任している。 |
正珍は、御小姓組及び諸国巡視役。寛永10年(1633年)に初の宇治採茶使を神尾守勝,近藤用行,朽木友綱と務める。鍵屋の辻の決闘で荒木又右衛門に殺害された河合又五郎を江戸屋敷で匿ったとされている。幕府の裁定は喧嘩両成敗となり、久世広当,安部四郎五郎忠政とともに百日間の寛永寺へ寺入りを命ぜられた。墓は横浜市瀬谷区阿久和にある通称・お墓山。 |