長岳寺
ちょうがくじ (Chogaku-ji Temple)
【T-NN004】探訪日:2017/9/14
長野県下伊那郡阿智村駒場569
【MAP】
〔駐車場所〕
創建は815(弘仁6)年、最澄が古代の官道である東山道の難所である神坂峠に布施屋を建てたのが始まりとされる。布施屋とは旅人や物流業者の一時避難場所で、主に寺院による慈善活動的な要素も強く、信濃側には広拯院、美濃側には広済院が設けられた。長岳寺の前身は広拯院とされ、園原にある月見堂がその跡地とされる。その後、1971(昭和46年)に現在地に境内を移している。天台宗寺院で本尊は十一面観世音菩薩。
また、長岳寺は武田信玄の遺体を火葬した場所としても知られる。1573(天正元)年、信玄は三河の野田城攻略の際、病が重くなり(狙撃説もあり)やむなく信濃に撤退するが、途中駒馬の山中で亡くなった。当時の長岳寺住職が信玄の義兄弟の裕教法印であったため、極秘のうちに遺骸を境内まで運び、裏山で馬場信春,原備前,高坂弾正,下條伊豆守ら重臣の手により、荼毘に付されたと伝えられる。火葬され場所には火葬塚が設けられていたが、信玄没後400年祭に火葬した灰を長岳寺境内に移し十三重塔を建立し供養した。寺宝として鍬形台三輪菊唐草透彫三鈷柄付,大日の丸練革製朱塗と称する武田信玄が使用したとされる兜の前立てを所有している。
なお、境内には長篠設楽原の戦いで戦死した馬場美濃守信房(信春)の供養塔もある。