本阿弥光悦墓所〔光悦寺〕
ほんあみこうえつ ぼしょ〔こうえつじ〕(Grave of Koetsu Honami[in Koetsu-ji Temple])
【K-KT028】探訪日:2012/10/20
京都府京都市北区鷹峯光悦町29
【MAP】
〔駐車場所〕
光悦寺内に本阿弥光悦,光瑳,光甫ほか一族の墓所がある。
光悦は父の光二の刀剣関係の家業に従ったと思われるが、それに触れる史料は殆どみられない。京ではむしろ「寛永の三筆」の一人に位置づけられる書家として、また、陶芸,漆芸,出版そして茶の湯などにも携わった多角的文化人としてその名を残している。
1615(元和元)年に徳川家康から鷹峯の地を拝領し、本阿弥一族や町衆,職人,芸術家たちなどを率いて移住し光悦村を営んで、独自の文化を築きあげた。俵屋宗達,尾形光琳(光琳,乾山兄弟の曾祖父・道柏の妻は本阿弥光悦の姉)とともに、琳派の創始者として後世の日本文化に与えた影響は大きい。1637(寛永14)年、81歳でこの世を去った後、光悦の屋敷は日蓮宗の光悦寺となった。
孫の本阿弥光甫も陶芸家として著名であり、1682(天和2)年に82歳で亡くなっている。