光悦寺
こうえつじ (Koetsu-ji Temple)
【T-KT040】探訪日:2012/10/20
京都府京都市北区鷹峯光悦町29 <📲:075-491-1399>
【MAP】
〔駐車場所〕
1615(元和元)年、徳川家康が文化人・本阿弥光悦にこの地を与えた。光悦は王朝文化を尊重し、後水尾天皇の庇護の下、朝廷とのつながりも深かったため、光悦を都(朝廷)から遠ざけようというのが、家康の真の意図だったともいわれるが定かではない。鷹峰三山(鷹ヶ峰,鷲ヶ峰,天ヶ峰)を望む景勝地であるが、当時は辻斬り追い剥ぎの出没する物騒な土地であったという。光悦はこの地に草庵を結び、法華題目堂を建てたのが始まりとされる。やがて光悦の一族や様々な工芸の職人らが移り住み、芸術の集落となった。光悦の死後、1656(明暦2)年に本法寺の日慈上人を請じて開山とし屋敷を日蓮宗の寺に改めた。境内には大虚庵,三巴亭,了寂軒,徳友庵,本阿弥庵,騎牛庵,自得庵の7つの茶室が散在し、庫裏に接して妙秀庵がある。これらはいずれも大正時代以降の建物である。竹を斜めに組んだ垣根は光悦垣と呼ばれ、徐々に高さの変わる独特のものである。なお、境内には本阿弥光悦はじめ一族の墓所が建つ。
【史跡規模】 |
【指 定】 |
関連時代 | 江戸時代:前期 |
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関連年号 | 1615年・1656年 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
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徳川家康 | TG01 | 本阿弥光悦 | SW12 | 後水尾天皇 | K604 |
日慈上人 | **** |
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▲本堂
▲鐘楼
▲鐘楼
▲三巴亭
▲大虚庵
▲大虚庵
▲光悦垣
▲本阿弥光悦墓所
▲本阿弥光悦墓所
▲本阿弥光甫,光瑳,他一族墓所
▲本阿弥光甫,光瑳,他一族墓所