松尾城跡
まつおじょうあと (Matsuo Castle Ruins)
【C-NN008】探訪日:2017/9/14
長野県飯田市松尾1114
【MAP】
〔駐車場所〕
築城年代は定かではないが、南北朝時代に伊那郡伊賀良荘の地頭で松尾出身の小笠原貞宗が建武の親政により信濃国守護となったときに築城したとも小笠原一族内での争いが激しくなった15世紀後半(室町時代)に築かれたとも考えられる。
室町時代、小笠原氏は松尾小笠原氏のほかに府中(深志)小笠原氏,鈴岡小笠原氏の三家が権力争いを繰り返す(参考資料参照)。信濃守護の小笠原政康から後継者とされていた小笠原光康が1461(寛正2)年に亡くなると、鈴岡小笠原氏の政秀が光康の子・家長を討つ。その家長の子・定基が1493(明応2)年に政秀を暗殺し鈴岡小笠原氏は滅亡するが、政秀の養子になっていた府中小笠原氏と松尾小笠原氏の対立は続き、1534(天文3)年頃、長朝の孫の長棟が松尾小笠原氏の貞忠を破り、貞忠は甲斐国へと逃れて武田信玄に臣従した。そして、1554(天文23)年、貞忠の子,孫の小笠原信貴,信嶺父子は武田氏の伊那侵攻で信濃先方衆として活躍し、再び松尾城を回復した。
1582(天正10)年、織田信長の甲州征伐で落城し信嶺は信長に降伏する。本能寺の変の後は徳川氏の家臣となり、徳川家康の関東移封に伴い武蔵国本庄城に移ったことで松尾城は廃城となった。
松尾城は段丘の突端に築かれた丘城で段丘崖と天竜川支流の谷によって三方が守られ、4条の大きな空堀によって区切られた3つの大きな郭が中心となっている。およそ東西450m,南北300mの範囲に遺構が分布する。現在は松尾鈴岡公園として整備されており、鈴岡小笠原氏の鈴岡城とは毛賀沢川を挟んで向かい側にある。
【史跡規模】 |
【指 定】長野県指定史跡(1972年10月16日指定) |
関連時代 | 南北朝時代 | 室町時代 | 戦国時代 | 安土桃山時代 |
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関連年号 | 1493年 | 1534年・1554年・1582年 | 1590年 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
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小笠原貞宗 | G437 | 小笠原政康 | G437 | 小笠原光康 | G437 |
小笠原政秀 | G437 | 小笠原家長 | G437 | 小笠原定基 | G437 |
小笠原長朝 | G437 | 小笠原長棟 | G438 | 小笠原貞忠 | G437 |
武田信玄 | G425 | 小笠原信貴 | G437 | 小笠原信嶺 | G437 |
織田信長 | OD04 | 徳川家康 | TG01 |
鈴岡城跡とともに非常に迫力のある城跡である。残念なことにカメラのトラブルで堀切の写真が撮れておらず、改めていつの日か訪れてみたい。
<信濃小笠原3氏の抗争>
※本サイトの写真は転用可です(ダウンロードすると、より鮮明に見えます)
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▲本丸
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▲鈴岡城跡への橋
▲鈴鹿城跡からの松尾城跡(鉄塔の下辺りが三ノ丸)