宮後城跡

みやうしろじょうあと (Miyaushiro Castle Ruins)

【C-AC111】探訪日:2015/9/12

【C-AC111】宮後城跡 愛知県江南市宮後町58

【MAP】

〔駐車場所〕

   築城年代は定かではないが、応永年間(1394~1428年)頃に安井小次郎が城代として入ったことに始まり、後に安井弥兵衛代々の居城となる。戦国時代、宮後城主・安井弥兵衛尉重幸の女と蜂須賀城主・蜂須賀正利との間に生まれたのが羽柴秀吉に仕えた蜂須賀小六正勝であり、1553(天文22)年の正利の死によって母の在所である宮後城に住むことになったという。正勝の嫡男で阿波国徳島城主となった蜂須賀家政は、この宮後城にて誕生している。また、浅野長勝の養子となり豊臣秀吉の五奉行の一人となった浅野長政は、安井弥兵衛重継(重幸の子)の長子である。宮後城は1584(天正12)年の小牧長久手の戦いの際に秀吉方の砦として修築されたが、和睦後に講和条件の一つとして破却された。
 航空写真や現地踏査の結果、河岸段丘を利用した1辺100mほどの城砦で、内郭と外郭に分かれ、周囲には堀と土塁が巡らされていたと推定される。現在は県道64号線が城跡を南北に分断する形で通っている。土塁については一部その痕跡が残っている。
 なお、県道の北側に蜂須賀家政誕生之碑が建ち、城跡南側には安井氏が宮後城の鎮護の神として勧請し、蜂須賀家政によって再建された宮後八幡社がある。八幡社は宮後城の出城とも宮後砦ともいわれている。

【史跡規模】

【指 定】
【国 宝】
【国重文】

関連時代 室町時代 戦国時代
関連年号 1394〜1428年 1553年・1584年
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
安井小次郎 **** 安井重幸 **** 安井重継 ****
蜂須賀正利 G322 蜂須賀正勝 G322 蜂須賀家政 G322
浅野長政 G148

 

【C-AC111】宮後城跡
  

 

【C-AC111】宮後城跡

【C-AC111】宮後城跡 ※本サイトの写真は転用可です(ダウンロードすると、より鮮明に見えます)

【C-AC111】宮後城跡

【C-AC111】宮後城跡

【C-AC111】宮後城跡

【C-AC111】宮後城跡

【C-AC111】宮後城跡

【C-AC111】宮後城跡