田幡城跡
たばたじょうあと (Tabata Castle Ruins)
【C-AC143】探訪日:2016/5/15
愛知県名古屋市北区金城3丁目11-6
【MAP】
〔駐車場所〕
築城年代は定かではないが、天文年間(1532~55年)に越智右馬允信高によって築かれたとされる。尾張の越智氏は伊予発祥の越智氏が美濃へ移り、美濃国安八郡林村から田幡に来住して林氏の祖となったという。
林佐渡守秀貞は織田信秀に仕え、那古野城主となった織田信長の筆頭家老となり(2番家老は平手政秀)、信長の元服や信秀の葬儀に相伴し、1555(弘治1)年、信長が清洲城へ移ってからは那古野城を預けられた。幼少より信長のうつけぶりに不満を抱いていた秀貞は、織田家後継として信長弟の信行擁立を考え、1556(弘治2)年8月、稲生原の戦い(稲生原古戦場)となったが信行軍は大敗。田幡城は廃城となった。秀貞は戦いには参戦しておらず、許されてその後も筆頭家老として信長に仕えたが、24年後、過去の信行擁立の謀反の罪を問われて追放された(真相不明)。
現在、城跡は金城小学校に変わり、遺構は残されていない。