築山御前墓所〔西来院〕
つきやまごぜん ぼしょ〔せいらいいん〕(Grave of Tsukiyama-gozen[in Seirai-in Temple])
【K-SZ005】探訪日:2007/6/16・2015/8/14
静岡県浜松市中区広沢2丁目10-1
【MAP】
〔駐車場所〕
西来院境内にある月窟廟が築山御前の墓所である。
1557(弘治3)年に今川義元の養女として松平元信(後の徳川家康)と結婚するが、1560(永禄3)年の桶狭間の戦いで今川義元が織田信長に敗れ討死にすると今川家が衰微、さらに家康は築山御前にとっての仇である信長と同盟を結ぶ。また、愛息の信康には仇である信長の娘の徳姫と婚姻を結んだこともあり、家康との関係はたいへん悪化したとされる。
真偽は定かでないが、築山御前は復権を果たすために武田勝頼に内通したとされ、徳姫から知らせを受けた信長はすぐさま家康に築山御前と信康の断罪を要求した。家康の命で築山殿は、1579(天正7)年8月29日、佐鳴湖岸小藪村(富塚御前谷;西来院から西へ約2Km)で野中重政と岡本時仲によって殺害されたという[享年38]。首は岡崎に運ばれ、胴は西来院に葬られた。このとき、血のついた太刀を洗ったとされる太刀洗の池が御前谷近くにある。
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▲入り口
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▲築山御前墓所