信光明寺
しんこうみょうじ (Shinkomyo-ji Temple)
【T-AC030】探訪日:2016/2/28
愛知県岡崎市岩津町東山47 <📲:0564-45-2100>
【MAP】
〔駐車場所〕
1451(宝徳3)年、岩津城主で松平宗家3代松平信光が、増上寺開山聖聡の弟子で下総国飯沼弘経寺から三河に布教に来ていた釋誉存冏を開山として創建した。
1478(文明10)年、法堂(観音堂)を建立。桁行3間,梁間3間,屋根は入母屋造こけら葺である。斗組は禅宗様二手先尾垂木付詰組とする純粋の禅宗様仏殿形式の建物で、内部は土間、派手な禅宗様須弥壇を置き、厨子を据えている。観音堂は初めは比叡山から迎えた釈迦像が安置されていたが、現在は観音像が祀られている。この堂は浄土宗寺院の本堂としては最古のものとされる。翌1479(文明11)年には後土御門天皇の勅願所とされた。1481(文明13)年、松平信光の孫の存牛(のちに浄土宗総本山知恩院25世)が開山存冏のもとで出家し、1511(永正8)年に信光明寺3世となった。
1570(元亀元)年から1572(元亀3)年にかけて、武田信玄の三河国侵入の際に戦闘で法堂の外は焼失したが、のち徳川家康の命で再建され、1602(慶長7)年、朱印地120.82石を寄進されている。江戸時代には徳川家光先祖菩提所として幕府によって修復が施され、1663(寛文3)年には常紫衣綸旨を受けた。
観音堂上屋根は1955(昭和30)年に復元工事が行われている。なお、境内には酒井広親石宝塔や松平親氏,松平泰親,松平信光3代の墓がある。