瑞巌寺
ずいがんじ (Zuigan-ji Temple)
【T-MG001】探訪日:2013/10/6
宮城県宮城郡松島町松島町内91 <📲:022-354-2023>
【MAP】
〔駐車場所〕
山号を含めた詳名は松島青龍山瑞巌円福禅寺。古くは松島寺とも通称された。828(天長5)年、淳和天皇の勅願寺として円仁(慈覚大師)を開山とし天台宗延福寺として創建されたと伝わるが、定かではない。そして、鎌倉時代には天台宗から禅宗へと転換され、改めて法身を開山として。臨済宗建長寺派円福寺となり繁栄を極めたが、戦国時代の終わりには火災によって廃墟同然にまで衰退し、1573(天正6)年頃には臨済宗妙心寺派に属した。
江戸時代に入り、松島を含む仙台藩を領した伊達政宗は禅僧虎哉宗乙の勧めで円福寺復興を思い立ち、1604(慶長9)年から5年をかけて工事を完成させた。今に伝わる桃山様式の本堂などの国宝建築を含む伽藍は、政宗の造営によるものである。この折、寺の名を改めて「松島青龍山瑞巌円福禅寺」と称した。住持が一時不在だったが、1636(寛永13)年に雲居が入り、伊達氏の保護もあって隆盛を極めた。この際、それまで瑞巌寺とは別個に存在した五大堂が瑞巌寺の管理下に入った。政宗の隠し砦という説もある。
明治の初めに寺領が没収され、廃仏の風潮が盛んになると、瑞巌寺も収入を失い窮乏し付属の建物が多く荒廃して失われた。1876(明治9)年の明治天皇東北巡幸の際に下賜金があってから徐々に財政難を脱し、1953(昭和28)年に本堂が国宝に指定された。
境内には「臥龍梅」と呼ばれる紅白二本の梅の木があり、伊達政宗の手植えと伝えられている。また、参道にはシンボルとも言える杉並木があったが、2011(平成23)年3月11日の東日本大震災の津波に襲われ、その後の塩害によって立ち枯れが目立ったことから約300本が伐採されている。
【史跡規模】 |
【指 定】 |
関連時代 | 平安時代:前期 | 鎌倉時代 | 戦国時代 | 江戸時代:前期 |
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関連年号 |
828年 |
1573年 | 1604年・1636年 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
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円仁(慈覚大師) | **** | 法身 | **** | 伊達政宗 | F814 |
虎哉宗乙 | **** | 雲居 | **** |
訪れた時期は建造物保存修理事業中だったため、本堂,中門,御成門などは非公開となっていたが(下記写真は転載させて頂いた)、本来は本堂に安置されている瑞巌寺本尊,藩主位牌などが特別公開されていた。本尊を間近で見ることができたのは幸いだったかもしれない。また、印象深かったのは、東日本大震災の津波の爪痕である。幸いにも津波は参道途中で止まったそうで、家屋倒壊や人的被害はここに限ってはなかったようであるが、大量の杉の木が枯れ伐採されていた。海岸からの距離を考えると大被害を受けてもおかしくはないが、松島湾の多くの島々が津波の威力を緩和させたとのことである。
※本サイトの写真は転用可です(ダウンロードすると、より鮮明に見えます)
▲海岸線から総門を見る
▲総門
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▲【転載】杉並木(東日本大震災前)
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▲【転載】中門
▲【転載】御成門
▲【転載】御成玄関
▲【転載】本堂
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▲登竜門
▲登竜門
▲庫裡(国宝)
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▲本尊の聖観世音菩薩立像
▲伊達政宗公(左)と忠宗公の位牌
▲伊達家歴代位牌
▲伊達家歴代位牌
▲鎮海,楊柳観音像と法身窟(後方)
▲芭蕉碑