無量光院跡
むりょうこういんあと (Muryokoin Temple Ruins)
【T-IW004】探訪日:2013/10/5
岩手県西磐井郡平泉町平泉花立
【MAP】
〔駐車場所〕
平安時代末期、奥州藤原氏3代の藤原秀衡によって建立された寺院である。奥州一帯に勢力を振るった奥州藤原氏は、初代清衡が中尊寺、2代基衡が毛越寺を造営した。無量光院が京都の平等院を模して造営され、四囲は東西約240m,南北約270m,面積約6.5haと推定され、当時は平等院の規模をも上回る規模と推定される。本尊は平等院と同じ阿弥陀如来で、中堂前に瓦を敷き詰めている点と池に中島がある点が平等院とは異なる。本堂の規模は鳳凰堂とほぼ一致だが、翼廊の長さは一間分長い。建物は全体に東向きに造られ、敷地の西には金鶏山が位置し、庭園から見ると夕日が本堂の背後の金鶏山へと沈んでいくように設計されており、浄土思想を体現していた。
奥州藤原氏の滅亡以降、度重なる火災で焼失し、今日では土塁や礎石,池跡が残るのみである。跡地には水田と松林が広がっているが、世界遺産登録後、文化庁や県にて庭園及び寺院の本格復元を検討している。