重原城跡
しげはらじょうあと (Shigehara Castle Ruins)
【C-AC155】探訪日:2016/11/22
愛知県知立市上重原町本郷38
【MAP】
〔駐車場所〕
築城年代は定かではない。石碑の碑文によれば、長元年間(1028~36年)に鴫原荘司であった源貞行の居館が始まりとされる。さらに『平治物語-源氏勢汰への事』には三河国住人として重原兵衛父子が登場する。その後、重原氏は1221(承久3)年の承久の乱で反幕府側にまわったため、代わって二階堂元行が新補地頭となった。さらに1285(弘安8)年の霜月騒動後は大仏宣時はじめ大仏氏が重原荘を治めた。
戦国時代になると、刈谷の水野氏により今川・松平勢に対する備えとして城郭整備が行われた。城主には荒川新八郎と山岡河内守(伝五郎)の名が挙げられる。
1548(天文17)年、織田家臣の荒川新八郎は松平広忠と戦ったという記録が残っている。新八郎は、1556(弘治2)の福谷城攻撃や1569(永禄12)年の大河内城攻めにも従軍し1574(天正2)年の長島攻めで討死した。
1554(天文23)年には山岡河内守が城主となっていた。知立神社神官の永見氏の娘を妻とし、知立神社に多宝塔を再建している。同年、今川義元は水野氏を攻めるために村木砦を築こうとし、その拠点として重原城を攻め落城させた。義元の死後、廃城となる。
現在、土塁,空堀の一部が残されている。