雨山城跡

あめやまじょうあと (Ameyama Castle Ruins)

【C-AC290】探訪日:2020/3.12・2023/5.2

 愛知県岡崎市雨山町東アチワ

【MAP】

〔駐車場所〕登り口にも駐車可能だが、東にある雨山ダム西の駐車場に停めるのがよい。

   阿知波城,雨山砦ともいう。築城年は定かではないが、1506(永正3)年頃に阿知波九三定助によって築かれたとされる。阿知波氏は織田氏に属する氏族で尾張国知多から雨山に移り住んだ。初代城主には阿知波定基の名がある。1556(弘治2)年、奥平氏と姻戚関係にあった阿知和修理定直(定基の子)が城主のとき、雨山合戦が勃発している。その後、元亀年間(1570~73年)に和田奥平氏が武田方へ奔ると、1573(天正元)年、阿知波氏は雨山奥平氏として奥平の七族五老に加わった。1590(天正18)年頃に廃城となったと考えられる。
 雨山城の正確な遺構位置は分かっていないが、東アチワの谷奥の標高354mの山頂とされる。ただ、ここは雨山合戦の際に造られた防御施設とする見解もある。

【史跡規模】

【指 定】岡崎市指定史跡(1992年6月15日指定)

【国 宝】 

【国重文】

関連時代 戦国時代 安土桃山時代
関連年号 1506年・1556年・1573年 1590年
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
阿知波定助 KD21 阿知和定基 KD21 阿知和定直 KD21

 


 2020年に訪れた際は、城跡も定かではなく当時アップした写真も参考扱いとしたが、今回は登り口,経路,山頂も整備されており、容易に到達することができた。ただ、ここは面積,防御性からみても雨山合戦時に造られた簡易的な砦とみるのが妥当なような気がする。

 

【C-AC290】雨山城跡 ※本サイトの写真は転用可です(画像をピックすると拡大、コメント表示されます)

登城口 ツルニチニチソウの群生 左へ 下山方向