本多忠高墓所
とりいただたか ぼしょ(Grave of Tadataka Honda)
【K-AC103】探訪日:2020/3/12
愛知県岡崎市大和町沓市場
【MAP】
〔駐車場所〕
父の本多忠豊同様、松平清康や松平広忠に仕えた。1547(天文16)年、松平一族の松平信孝が家督を狙い反乱を起こした際にも出陣し、また、翌年、尾張国の織田信秀が三河国に侵攻すると、今川氏の太原雪斎と広忠は小豆坂にて迎撃し、忠高もそれに従い織田軍と戦い、勝利を収めた(小豆坂の戦い)。
しかし、1549(天文18)年3月、松平広忠が岡崎城内で岩松八弥に暗殺され、松平氏や三河国人衆は大きく動揺すると、今川義元は三河国人衆が織田方に寝返ることを恐れ、太原雪斎を送って織田氏の三河国の拠点で織田信広が守る安祥城を攻めさせた(第三次安城合戦)。先鋒となった忠高は大久保忠俊らとともに夜襲をかけ戦果を収めたが、翌日の戦いで城の主郭まで深入りし敵の矢に当たって討死した。1797(寛政9)年、岡崎藩主の本多忠顕によって戦死地にも本多忠高墓碑が建てられている。
【史跡規模】 |
【指 定】 |
関連時代 | 戦国時代 |
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関連年号 | 1549年 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
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本多忠高 | F525 |
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▲妙源寺
▲左:本多忠高の墓 右:本多忠豊の墓
▲本多忠高の墓
▲左:本多忠高の墓 右:本多忠豊の墓