渡城跡

わたりじょうあと (Watari Castle Ruins)

【C-AC280】探訪日:2020/3/12

 愛知県岡崎市渡町下切

【MAP】

〔駐車場所〕

   築城時期は定かではないが、承久の乱後、熊野別当だった鳥居行範の子・鳥居行忠が紀州熊野を追われ、三河国矢作庄に移住して築城したことに始まる。
 17代・鳥居忠吉は松平清康,広忠に仕え、今川氏の管理下にて阿部定吉とともに実務にあたり、駿府城で人質になっている竹千代(家康)が帰参するであろう将来に備えて倹約,蓄財に心血を注いだ。忠吉死後、長男・忠宗は渡の戦いで討死していたため、3男の元忠が家督を相続し、家康に仕えた。1590(天文)年の家康関東移封に伴い、下総国矢作城4万石へ移ったが、その後、鳥居氏は代々当地に残り、本家は養子姓の長嶋氏を名乗り、分家は鳥居氏を名乗っている。
 城跡には高さ2mほどの土塁がL字型に残されており、東側には堀跡と思われる溝が確認できる。なお、城跡の屋敷には子孫の方が住まわれているようで、屋敷の入口脇に城址碑(渡城址・渡里伝内忠氏築城之地)と長嶋氏(長嶋氏家譜)の石碑が建てられている。
 また、城址碑の西30mほどのところには「鳥居氏発祥地」の石碑や鳥居忠宗墓所がある。

【史跡規模】

【指 定】

【国 宝】 

【国重文】

関連時代 鎌倉時代 戦国時代 安土桃山時代
関連年号 1572年 1590年
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
鳥居行忠 F511 鳥居忠吉 F512 鳥居忠宗 F512
鳥居元忠 F512

 

 

 

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▲城址碑(渡里伝内忠氏築城之地)

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▲「長嶋氏家譜」の碑

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▲西側の土塁

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▲土塁

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▲堀跡

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▲東側の堀跡