夏目吉久,吉信,吉為墓所
なつめよしひさ,よしのぶ,よしため ぼしょ(Graves of Yoshihisa,Yoshinobu,Yoshitame Natsume)
【K-AC025】探訪日:2014/9/13・2021/4/11
愛知県額田郡幸田町大字六栗本郷81
【MAP】
〔駐車場所〕
夏目氏は古くから松平氏に仕え、数々の戦で軍功を上げたが、1563(永禄6)年に勃発した三河一向一揆では吉信は一揆側に加担し、大津半右衛門,乙部八兵衛,久留正勝ら門徒と共に野場西城(六栗城とも)に籠って松平元康に叛き敵対した。しかし、乙部八兵衛の内通によって砦が陥落すると、攻め手の松平伊忠に捕らわれたが、乙部の助命嘆願によって伊忠のもとに置かれ、のちに伊忠が家康に嘆願して正式に帰参を許された。
1572(元亀3)年の三方ヶ原の戦いのとき、吉信は浜松城の留守居だったが家康の救援に向かい、必死に突撃しようとする家康を強引に帰城させ、25騎を率いて武田勢の追手に突入して奮戦し家康の身代わりとなって戦死した。享年55。浜松市には吉信の忠節を讃える「夏目次郎左衛門吉信旌忠碑」が建てられている。
墓所はここ明善寺と法蔵寺境内にある。後者は吉信の忠節を讃えて家康が建立させたものとされる。明善寺には父の吉久(1568年没),長男の吉為(1602年没)の墓と並んでいる。
【史跡規模】 |
【指 定】 |
関連時代 | 戦国時代 | 安土桃山時代 |
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関連年号 | 1568年・1572年 | 1602年 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
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夏目吉信 | G635 | 松平家康 | TG01 | 松平伊忠 | TG09 |
夏目吉久 | G635 | 夏目吉為 | G635 |
2回目の訪問の際、明善寺の住職(既に亡くなっておられる)の奥さん(80歳以上と思われる)の方から声をかけられ、夏目家の位牌もあるので見ていってくださいと吉久,吉信はじめ一族の位牌を拝見させていただくこととなった(毎年、浜松からバスで見学客が来るらしい)。位牌は家康が作らせたもので、家康は毎年命日に御籠に乗って江戸からお参りに来られていたと聞いていると話されていた。以前は御籠を置いた場所も残されていたとか。損傷しているものもあったが、すべて開いて見せていただいたので下記に掲載しておく。
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▲右から夏目吉信,吉久(吉信父),吉為(吉信長男)
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▲夏目氏一族の位牌
▲2014年撮影
▲2014年撮影