欠城跡
かけじょうあと (Kake Castle Ruins)
【C-AC273】探訪日:2020/3/2
愛知県岡崎市欠町足延
【MAP】
〔駐車場所〕
築城時期は定かではないが、本多忠真の居城とされる。忠真の父である本多忠豊は、1545(天文14)年に起きた安祥城合戦で松平広忠の身代わりとなって織田勢へ突入して討死を遂げ(本多忠豊墓碑)、その跡を継いだ忠高も1549(天文18)年の安祥城攻略戦で織田信広の捕縛を焦るあまり深入りして討死を遂げてしまう(本多忠高墓碑)。忠真は忠高の遺児鍋之助とその母を欠城へと引き取り養育した。鍋之助の元服後(本多忠勝となる)は、これを補佐して忠勝の窮地を救うなど、数々の合戦に共に従軍している。
1572(元亀3)年、忠真は徳川軍と武田軍が激突した三方ヶ原の戦いの退却戦で殿軍を率い、追走する武田軍と激戦を繰り広げた末、討死を遂げている(三方ヶ原古戦場:本多忠真碑)。これにより欠城も廃城となったと考えられる。
現在、岡崎東公園の城跡には、2012(平成24)年、本多忠勝から数えて17代後の子孫である忠次の邸宅(1932年建設)が東京世田谷から移築復元されている。