比企一族墓所〔妙本寺〕
ひきいちぞく ぼしょ〔みょうほんじ〕(Graves of the Hiki Family[in Myouhon-ji Temple])
【K-KN016】探訪日:2008/5/1
神奈川県鎌倉市大町1丁目15-1
【MAP】
〔駐車場所〕
1203(建仁3)年9月2日、比企能員が北条時政邸で誅殺されると、能員邸(現・妙本寺)へ逃げ帰った従者が能員遭難を知らせ、比企一族は一幡の邸である小御所に立て籠もった。北条政子は、これを謀反として比企討伐の命を下し、北条義時を大将とする軍勢が小御所へ襲来する。比企側は能員の子比企三郎,比企四郎時員,比企五郎、猶子の河原田次郎、娘婿の笠原十郎親景,中山為重,糟屋有季らが防戦し決死の抵抗を続けたため、戦闘は申の刻まで続き、寄せ手は御家人や郎従に複数の負傷者を出して退却した。今度は畠山重忠が壮力の郎従を繰り出して比企一党を攻め立てたため、比企側はついに力尽き、館に火を放ち、一族は嫡子一幡の前で自決し果てた。
比企一族墓所は妙本寺境内の祖師堂横にある。