西教寺
さいきょうじ(Saikyo-ji Temple)
【T-SG020】探訪日:2019/7/23
滋賀県大津市坂本5丁目13-1 <📲:077-578-0013>
【MAP】
〔駐車場所〕
西教寺の草創については確証はないが、比叡山と関係の深い一寺院として平安時代中期頃に草創されたものと推定される。比叡山中興の祖である良源(慈恵大師)が建てた草庵に始まり、その弟子の源信(恵心僧都)が伽藍を整えたともいわれる。なお、飛鳥時代に厩戸皇子を開祖とする伝承もあるが判然としない。
鎌倉時代末期の1325(正中2)年、後醍醐天皇の帰依を受けた天台僧・円観が西教寺を再興したことは史実と認められており、この頃から西教寺は円戒道場として知られるようになる。
1486(文明18)年には、中興の祖といわれる真盛が入寺し、晩年の10年を西教寺の復興と布教に努めた。中心伽藍を見下ろす高台には真盛上人廟がある。
1571(元亀2)年、織田信長による比叡山焼討ちの際に西教寺も焼失した。焼討ちの後、近江国滋賀郡は明智光秀に与えられ、光秀はこの地に坂本城を築いた。坂本城と地理的に近い西教寺との関係も深く、寺の復興に光秀の援助があったと推定されている。本堂は焼失の3年後に復興し、焼失した旧本尊の代わりに、甲賀郡の浄福寺という寺から阿弥陀如来像を迎えて本尊とした。この阿弥陀如来像は現存し重要文化財に指定されている。また、現存する本堂はその後改築されたもので1739(元文4)年の上棟である。なお、光秀は戦死した部下の供養のため西教寺に供養米を寄進しており、その寄進状が寺に現存している。また、境内には明智光秀一族の墓が建てられている。
1590(天正18)年、後陽成天皇は、廃寺となっていた京都岡崎の法勝寺をその末寺である西教寺に合併させる綸旨を発した。法勝寺の寺籍は西教寺に引き継がれ、法勝寺伝来の仏像,仏具等も西教寺に移された。現在、西教寺客殿の仏間に安置される秘仏薬師如来坐像は、法勝寺の遺物とされている。
総門をくぐると、参道の左右に計6ヶ寺の子院が並んでいる。参道の正面突き当たりには勅使門があり、その左に宗祖大師殿、奥の小高くなった場所に本堂,客殿,書院などが建つ中心伽藍があり回廊で結ばれている。
【史跡規模】 |
【指 定】滋賀県指定有形文化財(1986年5月24日指定) |
関連時代 | 鎌倉時代 | 戦国時代 | 安土桃山時代 | 江戸時代:中期 |
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関連年号 | 1325年 | 1486年・1571年 | 1590年 | 1739年 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
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良源 | **** | 源信(恵心僧都) | **** | 厩戸皇子 | K303 |
円観 | **** | 真盛 | **** | 織田信長 | OD04 |
明智光秀 | G142 | 後陽成天皇 | K603 |
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▲「宗祖真盛上人について」説明板
▲「西教寺と護猿の由来」説明板
▲門前
▲総門
▲「総門」説明板
▲勅使門
▲勅使門
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▲「西教寺」説明板
▲「鐘楼」説明板
▲鐘楼
▲鐘楼
▲「本堂」説明板
▲本堂
▲本堂
▲本堂
▲本堂
▲本堂
▲「客殿」説明板
▲客殿
▲客殿
▲明智光秀一族墓所
▲「万日法会」説明板
▲供養塔
▲名号石
▲放生池
▲放生池
▲放生池
▲宗祖大師殿唐門
▲宗祖大師殿唐門
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▲宗祖大師殿
▲宗祖大師殿
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