西大寺藩主市橋家邸跡
にしおおじはんしゅ いちはしけていあと (Lord of Nishioji Domain Ichihashi's Residence Ruins)
【R-SG005】探訪日:2016/9/25
滋賀県蒲生郡日野町大字西大路
【MAP】
〔駐車場所〕
1620(元和6)年、市橋長政が近江国蒲生,野洲両郡と河内国内に合わせて2万石を与えられたことから、かつての日野城跡に仁正寺陣屋を設置し仁正寺藩が立藩した。1622(元和8)年、長政は幕命により市橋長吉に2000石を分与したため、所領は1万8000石となった。長政は徳川家光の下で奉行として功を挙げている。長政死去後、跡を長男の市橋政信が継ぎ、徳川家綱,綱吉の下で功を挙げている。
最後の藩主であった市橋長和は、幕末の動乱の中で国防のために火薬の製造、武芸奨励などに尽力した。1862(文久2)年には仁正寺を西大路と改名したため、以後は西大路藩と称された。長和は当初は佐幕派であったが、次第に新政府側に傾いてゆき、明治天皇が東京へ行幸するときには天皇の奉送や京都守衛などで功績を挙げている。1869(明治2)年の版籍奉還で長和は藩知事となり、2年後の廃藩置県で西大路藩は廃藩となった。