日野城(中野城)跡

ひのじょう(なかのじょう)あと (Hino[Nakano] Castle Ruins)

【C-SG013】探訪日:2005/1/8・2016/9/25

【C-SG013】日野城跡 滋賀県蒲生郡日野町大字西大路

【MAP】

〔駐車場所〕

【C-SG013】日野城跡

   築城年代は定かではないが、音羽城の支城砦として蒲生貞秀が築いたのが最初とされ、1533(天文2)年より蒲生定秀が当主となり、ここを本城とし拡張したとされる。
 1568(永禄11)年、織田信長による観音寺城攻めでは蒲生賢秀(定秀の子)はここに籠城したが、伊勢国神戸友盛の仲介により人質として子の氏郷を出して信長に降った。賢秀は、本能寺の変の際には安土城二の丸で留守を預かっていたが、子の秀郷と図って信長の妻女を急ぎ中野城に移し、戦備を整えて明智光秀の招聘には応じなかった。
 信長亡き後は豊臣秀吉に仕えた氏郷は、1584(天正12)年に伊勢国松坂12万石へ転封となり、その後は田中吉政,長束正家が城代として入ったが、1603(慶長8)年には廃城となった。ちなみに、氏郷はその後、会津若松城に移封されるが、会津若松の名は氏郷が幼少の頃に遊んだ近江の「若松の森」に由来しているといわれている。
 また、江戸時代には、仁正寺(のちに西大路)藩主の市橋長政が城跡北東部分に陣屋を構えている(西大寺藩主市橋家邸跡)。
 中野城は日野川に面した段丘に築かれていたが、城の南側と西側は日野川ダムに水没している。本丸北側の土塁の一部の石垣とその外側に大きな空堀が残るのみである。西の道路に面して井戸があり、蒲生氏郷の産湯と伝えられるが、これが本丸の井戸である。

【史跡規模】

【指 定】
【国 宝】
【国重文】

関連時代 戦国時代 安土桃山時代
関連年号 1533年・1568年・1584年 1603年
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
蒲生貞秀 F917 蒲生定秀 F917 織田信長 OD04
蒲生賢秀 F917 蒲生氏郷 F917 豊臣秀吉 ZZ01
田中吉政 **** 長束正家 **** 市橋長政 ****

 

【C-SG013】日野城跡
 

 

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【C-SG013】日野城跡

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▲堀跡

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▲堀跡

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▲横堀

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▲土塁、上方は凉橋神社(江戸時代のもの)

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▲石垣、上方は稲荷神社(ともに江戸時代のもの)

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▲土塁

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▲稲荷神社

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▲説明板

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▲日野川ダム(元城域)