七条城跡

しちじょうじょうあと (Shichijo Castle Ruins)

【C-TS009】探訪日:2019/7/19

 徳島県板野郡上板町七條

【MAP】

〔駐車場所〕

   築城年代は定かではないが、勝瑞城の西の守りを固める支城として七条氏によって築かれたとされる。最後の城主である七条兼仲は三好家の中でも剛勇無双の武将とうたわれ、そのため、戦では常に三好家歴代当主からも信頼が厚く、先陣切って戦うことが多かったとされる。1582(天正10)年の中富川の合戦で討死し、七条城も勝瑞城と共に落城した 。
 七条城の主要部は現在、宮川内谷川の川底であり、堤防の両側に石垣と井戸が残る。川の北側の堤防下に石碑が建っている。 かつてこの辺りには七条兼仲を祀る若宮大明神があったが、いまは松島神社に合祀され現存しない。大明神取り壊しの際に、「兼仲祖父 七条孫大夫隼人介 永正十六年(1519年)卒」と記された墓石が発掘されたらしい。

【史跡規模】

【指 定】上板町指定史跡
【国 宝】
【国重文】

関連時代 戦国時代
関連年号 1582年

 

関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
七条兼仲 ****

 


 狭い民家の間の道を通り抜けると城址碑が建っていた。残念なことに、また珍しいことに城の主要部分は川底とのことで縄張のイメージはまったく掴めなかったが、城址碑の横には石垣を見ることができる(地元の伝承では古城の遺跡だとされている)。

 

【C-TS009】七条城跡 ※本サイトの写真は転用可です(ダウンロードすると、より鮮明に見えます)

【C-TS009】七条城跡

▲城址碑

【C-TS009】七条城跡

▲城址碑

【C-TS009】七条城跡

▲城址碑

【C-TS009】七条城跡

▲宮川内谷川北側の石垣

【C-TS009】七条城跡

▲宮川内谷川(川底が城跡主要部)

【C-TS009】七条城跡

▲宮川内谷川の北側