土田城跡

どたじょうあと (Dota Castle Ruins)

【C-GF031】探訪日:2019/9/30

【C-GF031】土田城跡  岐阜県可児市土田

【MAP】

〔駐車場所〕大脇公民館前の駐車場を利用できる。

【C-GF031】土田城跡

   築城年代は定かではないが、文明年間(1469~87年)に土田義久によって築かれたとされる。土田氏は明智氏に従っていたが、1556(弘治2)年に明智城が関城の長井道利によって攻められた際、土田源太夫が明智城で討死し土田氏の嫡流は断絶となるが、母方の尾張国小折城主の生駒豊政の養子となっていた生駒親重が、小折城と土田城主を兼ねることとなった。
 その後、生駒親重,親正父子は織田信長に従うこととなり、1574(天正2)年には土田城を去り、廃城となった。そして、生駒親正は1597(慶長2)年には、讃岐丸亀城を築くこととなる。なお、織田信長の生母土田御前はこの土田氏の出自とされる。
 土田城は可児川に沿って北西に伸びた標高172mの城山に築かれており、険峻な地形を利用している。北西端の最高所が主郭で、そこから南東に伸びた尾根の3つの峰に大手曲輪,中曲輪,金子山出丸と続く。主郭となる部分は山頂を削平し、北西下に腰曲輪,南東尾根に堀切を設けている。出丸とされる各峰は主郭部より狭く小さく削平しているだけのようである。平時は山麓の居館に居住し、合戦時に立てこもるための城である。

【史跡規模】

【指 定】
【国 宝】
【国重文】

関連時代 室町時代 戦国時代
関連年号 1469~87年 1556年・1574年
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
土田義久 TE04 長井道利 **** 土田源太夫 TE04
生駒親重 TE04 生駒親正 F*** 織田信長 OD04
土田御前 TE04

 

【C-GF031】土田城跡
 大脇公民館からすこし遊歩道へ入ったところに「城山へ」の小さな木の看板があり、そこから登城したが、途中には岩場の急斜面が幾ヶ所かあり、かなりハード(この日、4ヶ所目の山城でもあり)。登っているときも下りの心配が頭をよぎった。何とか主郭へ着き、無事下山もできたが、杖(スティック)は必需品である。

 

【C-GF031】土田城跡

【C-GF031】土田城跡 ※本サイトの写真は転用可です(ダウンロードすると、より鮮明に見えます)

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▲城址碑

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▲遊歩道脇の五輪塔

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▲城山への指示

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▲岩場の登城道

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▲主郭

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▲主郭

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▲遊歩道から金子山出丸への案内(今回進めず)

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▲遊歩道の石垣

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▲遊歩道から見た可児川