六所神社上宮
ろくしょじんじゃ うえみや(Rokusho Shrine Uemiya)
【S-AC003a】探訪日:2019/9/3
愛知県豊田市坂上町六所山1
【MAP】
〔駐車場所〕
祭神は猿田毘古神,塩椎神,岐の神,日本武尊。流造銅板葺の本殿と旧篭屋を転用した覆殿から成り、六所山の山頂にほど近い山麓に鎮座する。蜂ケ峰神社が上宮よりわずかに北にある。
六所山は古来より猿投山,本宮山と共に三河国三霊山のひとつとされ、山自体が神体とされて大山積神など6柱の祭神が奉祀されていた。後に社殿築造という仏教文化に由来する概念が浸透すると、六所山山頂にも遅くとも平安時代末期頃には社殿が築かれたと考えられている(上宮近辺で平安時代から室町時代にかけての土器片が発見されている)。
大簗山妙昌寺古記集によれば、妙昌寺3世住職無染融了上人が山に入ったところ、笈を松の木にかけて休息している老人と出会った。老人は、自分は奥州鹽竈明神である、この近隣に住まう氏子の守護のために出張してきたので定住先を選ぶように、と言い残して煙のように消えてしまった。驚いた無染上人はこの話を松平親氏に伝えたところ、1377(永和3/天授3)年8月19日、親氏は奥州より鹽竈六所明神を六所山に勧請した上で奉祀したとされ、以降六所山と呼ばれるようになる。産土神として奉拝されていた大山祇神はその社地を譲って北東の蜂ケ峰に遷され、以来「隠居神様」と呼ばれながら六所神社摂社の蜂ケ峰神社として存続する。一方、新たに祀られた客人神の本殿は芳樹宮と名付けられ、六所大明神と称されて松平氏,徳川氏の氏神として歴代当主の篤い崇拝を受けていくことになる。1474(応仁元)年の松平親忠による社殿再建に始まり、徳川家康はじめ徳川家,松平家一門による修復,再建が幕末まで続けられた。1542(天文11)年に竹千代(のちの家康)が誕生した際に礼拝がなされたといわれる高宮村(岡崎市)の六所神社に対し、六所山六所大明神の祭神6柱のうち3柱が勧請,遷座されている。
1873(明治6)年、六所大明神から六所神社と改称し、1921(大正10)年には県社に昇格した。
【史跡規模】 |
【指 定】 |
関連時代 | 平安時代:後期 | 南北朝時代 | 明治時代 |
関連年号 | 1377年 | 1873年 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
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無染融了 | **** | 松平親氏 | MT01 |
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▲六所山登山口(いのししコース)・二の鳥居
▲「六所山原生林」説明板
▲登山道
▲不動の滝
▲「不動の滝(みたらしの滝)」説明板
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▲山頂まであと730m
▲上宮,山頂へ
▲伊勢神宮遥拝所
▲上宮
▲三の鳥居
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▲山頂まで230m
▲蜂ヶ峰神社
▲六所山展望台跡
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