高森恵光寺快川墓所〔長篠古戦場〕
たかもり えこうじかいせん ぼしょ〔ながしのこせんじょう〕(Grave of Ekouji Kaisen Takamori [in Nagashino Old Battlefield])
【K-AC077】探訪日:2019/4/20
愛知県新城市大宮清水
【MAP】
〔駐車場所〕
高森恵光寺快川については不明点が多いが、甲斐国塩山竹森の領主武田宗賢(恵光寺宗賢)の子である可能性が高い(俗名は不明)。
恵光寺宗賢は、武田信実の指揮下に入っており、当初、鳶ヶ巣山砦を守備していたようであるが、酒井忠次の奇襲攻撃を受け壊滅状態となり、下山して設楽原の武田勢と合流したと考えられる。しかし、子の恵光寺快川はじめ、主従ことごとく戦死し、ここに葬られた。なお、恵光寺宗賢は生きて帰ったようである(1583年、高森に宝授院を建て、亡くなった息子の菩提を弔っている)。