樋口兼周墓所〔長篠古戦場〕
ひぐち かねちか ぼしょ〔ながしのこせんじょう〕(Grave of Kanechika Higuchi [in Historic Battlefield of Nagashino])
【K-AC080】探訪日:2019/5/3
愛知県新城市浅谷野添
【MAP】
〔駐車場所〕
1575(天正3)年5月21日に設楽原での決戦で大敗を期した武田勝頼軍が、織田徳川軍の追撃を防ぎながら、才の神から甲田,宮脇,浅木,出沢,銭亀へと向かう退路に位置する。墓所は、もとは鳥居田の中にあったが、圃場整備でこの地に移された。
樋口氏は木曽義仲の時代から続く名門であり、多くの忠臣らとともに非戦を主張した一人である。決戦では武田勝頼を守りつつ退いたが、この地で力尽き討たれたか、または自刃したという説もある。諸書の中には「樋口下総守」はあるが「兼周」の名は見つからず、委細不明が事実である。
なお、ここより400mほど南に真田信綱,昌輝兄弟の墓所がある。