真田信綱,昌輝兄弟墓所〔長篠古戦場〕
さなだ のぶつな,まさてるきょうだい ぼしょ〔ながしのこせんじょう〕(Graves of Sanada Nobutuna and Masateru [in Nagashino Old Battlefield])
【K-AC032】探訪日:2019/4/6
愛知県新城市八束穂野添814
【MAP】
〔駐車場所〕
真田信綱は真田幸隆(幸綱)の長男、昌輝は次男。真田信繁(幸村)の父である真田昌幸の兄達にあたる。
1575(天正3)年5月21日の設楽原での決戦では、西の連吾川と東の五反田川に挟まれた丘陵地に馬場信房,土屋昌次らとともに右翼に構えた。織田軍の佐久間信盛が守る丸山砦での戦いで討死した。
墓は一つの岩の右に真田源太左衛門尉信綱、左に真田兵部丞昌輝の名が彫られており、共に奮戦した禰津甚平是広,常田図書春清,鎌原筑前守之綱の墓と同じ墓地にある。
【史跡規模】 |
【指 定】 【国 宝】 【国重文】 |
関連時代 | 戦国時代 |
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関連年号 | 1575年 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
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真田信綱 | NH06 | 真田昌輝 | NH06 |
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▲三子山墓地
▲説明板
▲真田源太左衛門尉信綱の銘
▲真田兵部丞昌輝の銘
▲禰津甚平是広,常田図書春清,鎌原筑前守之綱の墓