湯島城跡
ゆしまじょうあと(Yushima Castle Ruins)
【C-SZ159】探訪日:2025/3.23
静岡県静岡市葵区俵沢55
【MAP】
〔駐車場所〕菜流寺の駐車場を利用できる。
築城年は定かではないが、1330年代前半に南朝方に属した内牧城主・狩野介貞長(貞永)が北朝方の今川氏に相対するために、安倍城を本城として久住砦などの城砦群を築いた際の支城のひとつとされる。
1392(元中9/明徳3)年の南北朝統一後は今川氏に恭順していたが、1433(永享5)年、今川範政の死によって勃発した今川家中の内紛に乗じて離反したが、逆に今川方に攻められて安倍城を捨て湯島城に籠って戦った。しかし、同年9月3日にはここも落城し、狩野氏は、さらに安倍奥へと敗走していった。その後、一旦は赦免され安倍山を安堵されるが、1467(応仁元)年頃、今川義忠に謀反の疑いをかけらられ、狩野氏は滅亡する。
湯島城は南に駿府、西に遠江、北には甲斐へと通じる交通の要所の標高303mの山頂に築かれ、西曲輪と東曲輪から成る東西約210m,南北約65mの城であった。それぞれの曲輪の手前には堀切が設けられている。
【史跡規模】 |
【指 定】 【国 宝】 【国重文】 |
関連時代 | 南北朝時代 |
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関連年号 | 1330年代前半 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
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狩野貞長 | F055 |
夕暮れが迫ってから登り始めたため、下山を意識するとかなり焦った探訪になってしまった。斜面に付いた道幅が狭く、途中には沢もあったためである。城跡に到達した頃には、少し薄暗く撮影も早々に切り上げざるを得なかった。