持舟城跡
もちぶねじょうあと(Mochibune Castle Ruins)
【C-SZ152】探訪日:2025/3.23
静岡県静岡市駿河区用宗城山町3
【MAP】
〔駐車場所〕用宗浅間神社左の坂を100ⅿほど上ったところに専用駐車場がある。
築城年は定かではないが、天文年間(1532~54年)に今川氏の属将であった一宮元実によって築城され、駿河守備の重要な支城として重用されたと伝わる。関口親永(氏純)らが城主を務めた。
桶狭間の戦い以降、今川氏が衰退すると、駿河国侵攻した武田信玄らによって攻められ奪われた。武田氏城代として三浦義鏡、および武田水軍に招かれた向井正重らが入り、駿河湾に面していることもあり、水軍の城として機能した。新しく湊や舟溜りが造られ、その頃、城名として「持舟」の通称がついたといわれている。
1579(天正7)年、徳川家康の駿河侵攻により牧野康成らに攻められ落城し、城代の三浦,向井らが討死するが、翌年には武田勝頼が再び奪い返して再建し、朝比奈信置を城代とした。
そして、1582(天正10)年、甲州征伐によりまたも駿河に侵入した徳川家康の再攻撃を受け降伏。城代の朝比奈信置は久能山に退き、この際に廃城とされたという。
眼下に駿河湾を見下ろす標高70mほどの小高い丘陵に築かれ、東海道の山越え側丸子城と並んで、海側の街道の要衝であった。中央の大堀切を挟んで東側に本曲輪、西側に二の曲輪をもち、それぞれに腰曲輪が付く。また、大堀切の北側に井戸跡が残されている。