ひよどり城(五箇篠山羅城)跡

ひよどりじょう(ごかささやまらじょう)あと(Hiyodori [Gokasasayamara] Castle Ruins)

【C-ME171】探訪日:2025/2.27

【C-ME171】ひよどり城跡 三重県多気郡多気町下出江

【MAP】

〔駐車場所〕

【C-ME171】ひよどり城跡

   築城年,築城者、城主も定かではない。別名を五箇篠山羅城といい、南約2.5kmに位置する五箇篠山城の支城とも考えられる。1582(天正10)年の本能寺の変後の冬、北畠具親が五箇篠山城に籠って北畠氏の再興を計ろうとしたが、わずか2日間ほどの戦闘で織田信雄軍によって落城となり、ひよどり城が機能したのか、あるいは同時に落城したのかは不明である。
 城は、東の小片野,片野,出江の平野部を眼下に見ることができる標高266m,比高190mの丘陵山頂に位置し、規模は65m×95mとされる。主郭中央に土塁が設けられ、主郭の北東,南東には堀切がみられ、特に南東の堀切は、五箇篠山城と類似の二重堀切構造を呈している。中央のコブは一見、橋を支える橋脚のようである。主郭から南に370mほど進むと、田古加山(標高210m)に南砦がある。ここは防御性完成度は低く、単に見張台としての機能しかなかったように見える。
 『勢陽五鈴遺響』には、北畠具親が五箇篠山城にて再挙したときに、織田信雄勢が五箇篠山城攻撃のためにひよどり城を築いたとされているが、構造からみて五箇篠山城方の城とみるのが妥当である。

【史跡規模】

【指 定】

【国 宝】

【国重文】

関連時代 戦国時代
関連年号 1582年
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図

 

【C-ME171】ひよどり城跡
 この日の最後に訪れた城跡で、すでに18kmほど山城を上り下りし足もかなり疲れていたため、登りは「比較的なだらか」と案内板に書かれていた鍛冶谷登山ルートで行くこととした。そして、下りは陽も落ち始めていたために短時間で下りたいと、金比羅口登山ルートで南砦を経由して下山することにした。途中、急傾斜の箇所には手すり用のロープが設置されており、ひじょうに助かった。所要時間は、鍛冶谷登山口から主郭までの上りに35分、主郭から金比羅登山口までの下りに25分であった。

 

【C-ME171】ひよどり城跡

 

ひよどり城縄張り図(現地説明板に加筆)

【C-ME171】ひよどり城跡 ※本サイトの写真は転用可です(画像をピックすると拡大、コメント表示されます)

鍛冶谷登山道入口フェンス 堀切 のろし穴 のろし穴 曲輪 空堀と切岸 主郭 主郭の土塁 下山は金比羅口登山道を行くことにした 堀切 堀切 二重堀切 堀切 南砦 南砦 南砦 急斜面には手すりロープが張られている 金比羅口登山道のフェンス