上賀茂神社
かみがもじんじゃ (Kamigamo Shrine)
【S-KT005】探訪日:2012/10.20
京都府京都市北区上賀茂本山339 <📲:075-781-0011>
【MAP】
〔駐車場所〕
京都で最も古い神社の一つとされ、社殿は、678(天武天皇7)年に、この地を支配していた賀茂氏一族が京都の鬼門を守る神社として創建した。正式名称を「賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)」といい、社伝によれば、賀茂別雷命大神の伝説に基づく神社である。
神代の昔、賀茂玉依姫命は小川(賀茂川上流)で身を清めているときに流れてきた一本の丹塗矢を持ち帰った。その夜、不思議な矢の力により賀茂玉依姫命は身ごもり、元気な男の子を産む。やがて元服の日、賀茂玉依姫命の父である賀茂建角身命は、全国の神々を集め、七日七夜の宴を催した。そこで、男の子に盃を手渡し「自分の父上だと思う神様に盃を進めなさい」と言った。すると、男の子は盃を天に向かって掲げ、「私の父上は、天の神様です」と言い、その途端に雷鳴が轟き、男の子は天に昇ってしまったという。賀茂玉依姫命と賀茂建角身命は嘆き悲しみ、帰ってきてほしいと願っていたある夜、男の子(賀茂別雷命)が賀茂玉依姫命の夢枕に立ち、「私に帰ってきて欲しいのなら、葵の葉を飾って、馬を走らせて祭りを行ってください」と告げた。賀茂玉依姫命が言われたとおりにすると、男の子は成人の姿となって、神山(現社殿の北北西にある山)に降臨したという。なお、丹塗矢の正体は、乙訓神社の火雷神とも大山咋神ともいう。
上賀茂神社は、この賀茂別雷命を御祭神、神山(禁足地)を御神体とし、兄の賀茂建玉依彦命の子孫である賀茂県主の一族がこれを奉斎した。なお、下鴨神社(賀茂御祖神社)には母である賀茂玉依姫命と祖父である賀茂建角身命が祀られている。
794(延暦13)年、桓武天皇による平安京遷都の際、「王城鎮護の神」になり、807(大同2)年には正一位を授かり、葵祭,賀茂祭が勅祭(天皇の勅使が派遣されて執行される祭祀)になった。
一の鳥居,二の鳥居をくぐり進むと、正面に神山を象った立砂がある細殿,橋殿があり、玉橋の北に楼門,中門、その奥に国宝である本殿と権殿(本殿修復時に一時的にお遷りいただくための仮殿)が建つ。2棟の国宝のほか、41棟が重要文化財となっている。
【史跡規模】 |
【指 定】 【国 宝】本殿・権殿(ともに1863年再建) 【国重文】拝殿(細殿)・ 西渡廊・東渡廊・透廊・渡廊・塀中門・祝詞舎・四脚中門 御籍屋・神宝庫・唐門・唐門左右袖塀・東御供所・直会所 楽所及び西御供所・幣殿(祈祷殿)・忌子殿・幣殿忌子殿取合廊・高倉殿 廻廊・楼門・土屋(到着殿) ・楽屋・玉橋・・・・以上1628年建立 舞殿・本殿権殿取合廊・本殿東渡廊取合廊 ・・・・以上1863年頃建立 片岡橋 ・・・・1868年建立 |
関連時代 | 飛鳥時代 | 平安時代:前期 |
関連年号 | 678年 | 794年・807年 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
賀茂別雷命 | A*** | 賀茂玉依姫命 | A212 | 賀茂建角身命 | A212 |
賀茂建玉依彦命 | A212 | 賀茂氏 | KA05 |