堀河天皇後円教寺陵

ほりかわてんのう のちのえんきょうじのみささぎ(Nochino-enkyoji Mausoleum of Emperor Horikawa)

【K-KT007】探訪日:1998/8.10

【K-KT007】堀河天皇陵 京都府京都市右京区龍安寺御陵ノ下町13

【MAP】

〔駐車場所〕

【K-KT007】堀河天皇陵

   1107(嘉承2)年7月19日、宝算29と若くして崩御した第73代・堀河天皇〔在位:1087~1107年〕の陵である。宮内庁上の形式は円丘。同じ朱山にある一条天皇陵と同域である。
 白河天皇の第三皇子で、母は藤原師実の養女で白河中宮の賢子。准母は同母姉の媞子内親王(郁芳門院)である。諱は善仁。
 1086(応徳3)年11月26日、立太子と同日に8歳で父の白河天皇から譲位され即位した。この短期間での立太子・即位は、異母弟の輔仁親王に皇統が移ることを避けるための白河天皇の強い意向によるものだったという。
 堀河天皇は成人すると、関白・藤原師通とともに親政に意欲を高めたが、1099(承徳3)年、師通の急死により、白河法皇に政務を相談せざるを得なかった。法皇は、かつての師実との協調関係から摂関家にも強い影響力を持ち続け、結果として白河法皇の院政が成立した。
 堀河天皇は「末代の賢王」と評される賢帝として知られたが、白河院の政務への関与が再び強まると、その興味は趣味の世界に移っていった。叔母にあたる中宮・篤子内親王の薫陶を受け、学問,和歌,管弦に才能を発揮して廷臣らに慕われたが、生来病弱であり、在位のまま宝算29で崩御した。

【史跡規模】

【指 定】

【国 宝】 

【国重文】

関連時代 平安時代:後期
関連年号 1107年
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
堀河天皇 K328 江雅致 OE05 橘 道貞 TB11
藤原保昌 F062

 

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