伝太田備中守墓所

でん おおたびっちゅうのかみ ぼしょ(Pagoda of Ota Bicchu-no-kami)

【K-AC250】探訪日:2024/12.18・12.26

【K-AC250】伝太田備中守墓 愛知県新城市門谷下浦60 

【MAP】

〔駐車場所〕鳳来寺参道入り口または山道一の門近くに駐車場がある。

【K-AC250】伝太田備中守墓

   鳳来山東照宮築造に尽力した太田備中守資宗を慰霊する宝塔である。墓とされるが、資宗の墓所自体は三島市の妙法華寺にある。資宗が造営中に止宿した平澤家の前の鳳来寺参道脇に没後に建てられ、代々平澤家が祭祀している。石造宝塔としては市内最大の2m14cmで、新城市の指定文化財となっている。
 浜松城主であった太田資宗は徳川家光の命を受け、1645(慶安元)年から東照宮建設に着手し1649(慶安4)年に完成させた。

【史跡規模】

【指 定】新城市指定文化財:石造宝塔(1974年7月11日指定)

【国 宝】

【国重文】

関連時代 江戸時代:前期
関連年号 1680年以降
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
太田資宗 G118

 

【K-AC250】伝太田備中守墓
  

 

【K-AC250】伝太田備中守墓

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平澤家 太田備中守の死没は1680年であり、造営中には亡くなっていない