富田城跡

とみだじょうあと(Tomida Castle Ruins)

【C-ME159】探訪日:2024/12.19

【C-ME159】富田城跡 三重県四日市市富田1丁目24-26

【MAP】

〔駐車場所〕

【C-ME159】富田城跡

    『吾妻鏡』によると、1204(元久元)年の三日平氏の乱の際に伊勢平氏の一党である進士三郎基度が、富田六郷の東西富田の地に築いた居館が始まりとされる。その後、1446(文安3)年、南部三郎行直の子と伝わる南部修理大夫頼村が、信濃国野沢庄より当地に移住して富田城を築いた。頼村は最初は室町幕府に仕えた。南部氏はその後、伊勢国司の北畠家に服属し、頼宗,頼武,頼連,兼綱と室町時代から戦国時代にかけて120年余りの期間、当地を支配して北勢四十八家の一つに数えられた。代々、富田六郷の東富田村・西富田村を統治して、同地の神仏を尊び地域の地場産業を興して富田発展の基礎を築き、領民から親しまれる領主だったという。
 しかし、1568(永禄11)年、5代目当主・兼綱の代に、織田信長の伊勢侵攻により富田城は落城して兼綱は自刃、南部氏は滅亡した。富田城は廃城となり、兼綱の孫の甲斐守忠次は仏門に入り、当地に蓮光寺を開基し、また、弟の甚八郎忠明も仏門に入り四日市市堀木の専念寺に入った。
 城は現在の市立富田幼稚園付近を中心に、市立富田小学校と駅周辺の富田茶屋町付近にあったとされるが、遺構は消滅している。中世富田城の名残として、富田幼稚園の運動場に銀杏の古木が残存している。朝明郡富田の地籍図によると、南方にある茂福城に形状が類似していたという。

【史跡規模】

【指 定】

【国 宝】

【国重文】

関連時代 鎌倉時代 室町時代 戦国時代
関連年号 1204年 1446年 1568年
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
進士(富田)基度 H145 南部頼村 **** 南部頼宗 ****
南部頼武 **** 南部頼連 **** 南部兼綱 ****
織田信長 OD04 南部忠次 **** 南部忠明 ****

 

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市立富田幼稚園 グランドに残る銀杏の古木 グランドに残る銀杏の古木 隣の市立富田小学校 隣の市立富田小学校