服部半蔵家墓所〔顕本寺〕
はっとりはんぞうけ ぼしょ〔けんぽんじ〕
(Graves of Hattori Hanzo Family [in Kenpon-ji Temple])
【T-ME011】探訪日:2024/12.3
三重県桑名市萱町74
【MAP】
〔駐車場所〕寺院北の道路を挟んだところに参詣者用駐車場がある。
1652(慶安5)年7月2日(5月27日)、73歳で没した桑名藩家老で4代目服部半蔵正重ほかの墓所である。自栄山顕本寺の墓地内にある。服部正重は兄・正就の妻(松平定勝長女・徳川家康養女)の実家である久松松平家に召し抱えられ、桑名藩家老となった。墓内には、同じく桑名藩家老を務めた服部半蔵正礼(1824年8月27日没),服部半蔵正啓(1825年4月6日没),服部半蔵正綏、そして服部半蔵正義(1886年1月22日没)の墓がある。
12代目半蔵の服部正義は、主君・松平定敬が京都所司代として在京していたため、付き従って補佐したが、1868(慶応4)年1月の鳥羽・伏見の戦いで桑名藩が敗北すると、桑名への帰国も困難となり、桑名藩分領地の越後国柏崎へ逃れた。その後も明治初期の混乱期に波乱に満ちた生涯を送り、1886(明治19)年に桑名で亡くなり顕本寺に葬られた。享年42。墓は一時期、無縁仏の墓石群中にあったが、現在は単独で祀られている。