水谷光勝墓所〔顕本寺〕
みずたにみつかつ ぼしょ〔けんぽんじ〕
(Grave of Mizutani Mitsukatsu [in Kenpon-ji Temple])
【T-ME012】探訪日:2024/12.3
三重県桑名市萱町74
【MAP】
〔駐車場所〕寺院北の道路を挟んだところに参詣者用駐車場がある。
1631(寛永7)年1月14日(12月12日)に死去した四日市代官であった水谷九左衛門光勝の墓所である。自栄山顕本寺の墓地内に現存する最古の墓碑である。向かって右端の五輪塔が光勝の墓で高さは128cm、「真如院逆修元和四暦戊午七月吉日」とある。「逆修」とは、生前に建てた墓ということをあらわし、建立日の1618(元和4)年7月から、亡くなる約13年前に建てられたことがわかる。
中央の五輪塔は光勝の妻の墓で、光勝の墓といっしょに建てられたが、実際の没年月日は1631(寛永8)年8月8日(9月4日)である。また、向かって左端の五輪塔は、誰の墓かは不明である。
水谷光勝は四日市代官だった頃、顕本寺の仏像,仏具類が洪水によって全て流された後に、大鳥居村で仏像を得て草庵を建てて祀った際、仏堂を再興し、日透を招聘して第14世住職としたという功績を残している。
【史跡規模】 |
【指 定】桑名市指定史跡(1966年11月22日指定) 【国 宝】 【国重文】 |
関連時代 | 江戸時代:前期 |
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関連年号 | 1618年・1631年 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
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水谷光勝 | H*** |