尾野山古墳〔尾野神社〕
おのやまこふん〔おのじんじゃ〕(Onoyama Kofun Tumulus [Ono Shrine])
【K-ME010】探訪日:2024/10.31
三重県桑名市東方西馬様
【MAP】
〔駐車場所〕北側の道路に路駐させていただく。
太古は伊勢湾に面し海陸交通の接点でもあった尾野山に5世紀後半に築造された前方後円墳である。墳丘の規模は、後世の改変が大きく不明であるが、前方部が現在の大成小学校校庭とされることから、かなり大型の墳丘であったと推定される。出土品,埋葬施設などは明らかではない。
東下に位置する尾野神社と深い関わりをもっている。尾野神社は、第10代・崇神天皇の時代に創立されたと伝わり、御祭神は第5代・孝昭天皇の第一皇子の天足彦国押人命(天押帯日子命)とされる。平安時代の延喜式神名帳にも記載されている1000年以上の歴史をもつ神社である。この地に居住していた小野津臣が、小野氏の祖神とされる天足彦国押人命と大后神高御前月読命の二柱を奉斎した。一柱を尾野山の現地に葬り祀り尾野神社とし、もう一柱を尾野山の南方の立坂に葬り祀り立坂神社(現在の桑陽保育所の地)としたという。
尾野山古墳は、その始祖を葬る御陵跡と伝えられ、往古は御陵の上に神殿があり、「奥之院」と称していた。しかし、後円部に尾野山城が築かれ、織田勢に落とされ焼亡し、後に神殿は丘陵の下に移された。頂部には現在は松の大樹が繁り、その数本の大木を中心に玉垣がめぐらされ、元の社地跡の名残りをとどめている。立坂神社は1908(明治41)年に尾野神社本殿の右隣に合祀されている。